2005年73歳の古稀祝い

コンクールを終え慰労会







  1932年、兵庫県生まれ。小さい頃に母親と一緒に沖縄の(現)石川市へ引っ越す。

  野良仕事を終えた青年男女の歌垣(毛遊び=もうあしび)に聴き入り自作の三線を作り

  独学で歌を覚える。

  戦後になってからは米軍キャンプで働き黒人兵からアメリカ音楽を覚える。

  同時にその才能を認められて沖縄の芝居に地方(じかた)として参加し、三線の弾き方、

  歌い方、うたのいろいろを正式に習った。さらにそのずば抜けた才能は50年代末から60

  年代にかけてますます発揮され、それまで一人で舞台に立つことはなかった歌い手(民

  謡歌手)という存在を世に認めさせ、民謡歌手のグループ(バンド)を結成し戦後最大

  の民謡ブームの基礎を築くこととなった。現在「琉球民謡協会名誉会長」
沖縄の歌の流

  派としては最大のメンバーを抱える「登川流の宗家」
「沖縄県指定無形文化財・琉球歌

  劇保持者」「琉球古典音楽・湛水流名誉師範」等、沖縄民謡会の第一人者ある。

  02年刊行された自伝『オキナワをうたう』(藤田 正・編)が02年の沖縄タイムス出

  版文化賞を受賞。及び映画『ナビィの恋』『ホテル・ハイビスカス』で本土でも人気爆

  発。琉球フェスタにも引き続いての出演中。